トロねえ物語。第八話

トロねえのイメージその四。

渋滞ドライブ

 

夕方の大阪の街は、すでに帰宅ラッシュの渋滞が始まるところだった。

「んで、どこ行く?」

「どこ行こかいな? はどうや、カツオ」

「大阪で海? あるんかいな?」

もちろん大阪に海があることは知っているが、埋め立てられた海なら物悲しい気分しかない。

「とりあえず、トロねえん家に向かって帰ろか」

カーナビの走行経路を逆戻りして走る。

しかししばらくして気づいたが、これではまた午前のデパートに行ってしまうルートだった。

当然トロねえに道案内は任せられないので、わざわざトロねえの住所を打ち込んで走り出す。

 

徐々に日が暮れ始めた都会の道路は、どんどん交通量が増えていった。

一度逆方向に進んでしまったために、けっこうな大回りで走っているうちに、日もすっかり暮れてきた。

車の中では他愛ない会話をしたり、もう何度目にもなるkingさんからの電話があったりして、おいらは大都会の混雑した道を、ただカーナビに導かれるままに機械的に運転していた。

なにぶん普段は田舎の信州で走っているだけに、都会の渋滞や信号待ちは大嫌いなのだが、隣にトロねえを乗せていると、むしろ楽しい気分でいることさえできた。

「今日は夜のバイトがあるから、あと二時間だけ一緒にいられるわ」

トロねえが時計を見て言ってくる。そうか、あとたったの二時間か、と思った。

「るいちゃんとこでおなか膨れて、まだ腹減ってないやろ? なんや夕食行くのもどこにしよって感じやな」

「んじゃ腹減らしにボーリングでも行くか?」

「カツオどんなけ元気やねん。そや、大阪城公園行こや。よく行ったとこや。ミニトロのチャリ練習でな、家から押して通ったことがあるんや。あー懐かしいわ」

現在高校生の娘の自転車練習ということは、おそらく十年くらい前の話だろう。まさか最近ではあるまい。

「こっからなら姉ちゃん案内できるで! よっしゃ! 大阪城や!」

トロねえは突然張り切って道案内を始めた。

 

 

夜の大阪城デート

 

「トロねえ、もう出してええか?」

「えー? もう出すんかいな。早すぎやで」

「でももう出したいねん」

「あかんあかん。まだや。もうちょい我慢せい」

「だ、だめや。も、もう出したい。我慢でけん。だ、出すで!」

大阪城公園の駐車場に到着して、おいらはトロねえのくれたガムを口から出した。

味のなくなったガムを噛み続けるなど、おいらにはできない。

 

大阪城公園の有料駐車場には、ほかに一台の車もなかった。

もうすっかり夜の雰囲気である。

公園を囲んでそびえるビルはきらびやかな光を放っていたが、木立ちの中を歩き出すとが体を包んだ。

「わー、落ち葉踏んで歩くの、いい感じやな。空気も冷たくて、寒いけど爽やかな雰囲気や」

一面に地面を覆った黄葉の落ち葉をかさかさと踏み鳴らしながら、トロねえは気分よさそうに笑った。

「ひょひょひょ。夜の大阪城公園で、カツオとデートやで」

冬の公園を素敵な恋人と二人、落ち葉を踏んで散歩するのは、おいらのちょっとした夢であったが、それが今叶っているのかどうかは分からなかった。

通常ならロマンティックな気分になるところであろうが、どうもそういう気分ではないような気がする。

「姉ちゃん、おいらおしっこしたい」

「トイレはあっちや!」

暗い林を進んだ先に粗末な公衆便所があり、そこには数人の浮浪者たちがたむろしていた。

「ずいぶん減ったけど、まだ少しはいるんやな。ちょっと前はすごいいっぱいだったんやで」

トイレは汚そうだったし、浮浪者たちに近づきたくなかったので、林の中ですることにした。

「早くしてや、怖いから」

トロねえは少し離れた場所から言ってきた。またシッポの生えてたところをこちょばかせと騒いでくるかと思ったが、それからは無言だった。

用を足して振り返ると、心細そうに立つトロねえの黒いシルエットが、なんとなく女性らしい色っぽさを感じさせており、おいらはなぜかそのことに満足を覚えた。

 

二人並んで歩き出す。どちらがリードするということもなく、自然に足の向くほうに進んでいく。

トロねえには当てがあるのかないのか知らないが、「風が冷たくて気持ちいい」などと言って喜んでいる様子からは、ただ歩いているだけで満足している気分が感じ取れる。

薄暗いオレンジ色の外灯が並ぶ枯葉の林を抜けて、頭上に夜空が広がると、幅の広い堀の向こうには、大阪城の天守閣がライトアップされている姿が見えた。

「最近塗り直してな、ちょっと変なんや」

確かに遠目からでも、大阪城は真っ白な壁と派手な緑色の屋根に塗られて、全く歴史的な重厚感がない。

「さ、あそこまで行くで、カツオ。腹減らしにちょうどええ散歩や」

堀は静かに揺らめく黒い水面に、遠くの街明かりをわずかに反射させている。それを左手にして、二人は天守閣を目指した。

たまにジョギングの人が通り過ぎていったが、人の気配はほぼなくて、ここはまるで都会の異空間のようだった。

前から黒い野良猫が歩いてきたので、鳴きまねをしながら頭をなぜてやると、トロねえは驚いてその様子を眺めてきた。

「野良猫なのにそんな懐いてくるなんて!」

「ひひ。おいらは猫に好かれるのさ。だからペロも見せい」

「んー、あれはでもほんま特別ヒトミシリやからなあ」

こむぎでもその話題が出たが、どうやらペロは人には見せられない事情があるらしい。

ブログでもトロのほうは写真が出るのに、ペロのほうは全く出ることがない。

きっと猫ではない何か恐ろしいものを飼っているに違いないと、るいさんと二人で言って笑ったが、ひょっとしてペロとは、今回全く顔を見せない人見知りの旦那なのではと疑ってみる。