ブランコから降りて、僕たちは歩き始めた。
「すぐ近くにね、前、キムタクがドラマの撮影してたビルがあるんだけど、行ってみましょう」
シャインさんの言葉に従って、通りを左折する。
行く手にはひときわ立派なガラス張りの高層ビルが現れて、しかも同じようなのがいくつも建っている。
「あんなとこに行ったらおいら、キムタクと間違われちゃうよ」
と言おうと思ったが、いくら同じイケメン属とはいえキムタクとでは全然顔が違うし、いかにも馬鹿丸出しなセリフなのでやめておく。
一つのビルの中に入ると、そこは広いホールになっていて、いくつかのショップがあった。
休日だからなのか閑散としていて、なんだか何か途轍もなく巨大な虫の抜け殻みたいな雰囲気だ。
ちょうど十二時になって、仕掛け時計の音楽が鳴り響く。
いったい普段はどれだけの人が行きかっているのか分からない、今はうつろな空間に、時計は僕たちだけのために時を告げていた。
「十二時ね。どこでお昼食べましょう?」
「おいら、あの朝の喫茶店の近くの寿司屋がいいなあ」
「あら? ここにも何かお店があるわ。ちょっと見てみましょ」
仕掛け時計の真下へと登っていくエスカレーターの脇には小さな店があり、そこはどうやらイタリアンレストランだった。イタリアンと言っても、スパゲティとピザがメニューの主体だ。
「わあ。なんだかおいしそうじゃない? あの『海老の幸スパゲティー』なんかいいわ」
「シャインさん、『海老の幸』じゃなくて、『海の幸』って書いてあるんだけど…」
シャインさんはエビが大好物らしく、ブログでもしょっちゅうそれを宣言して、シャイン=エビとまで言い切っている人である。
これはいかにもな読み間違えだった。
「あら! 本当だわ。私ったら、いったいどれだけ海老が好きなんでしょうって話よね」
シャインさんは笑って、今度は横に立ててある看板を眺めた。
「昼食、珈琲とケーキがセットでついて1480円ですって。かなりお得よね」
僕にとって千円を超える昼食はけっこう高いと思うのだが、まあ確かにここの値段からすればそれはお得なセットだったし、わざわざ東京まで来て、シャインさんと会っているのに、それくらいをケチっていても仕方ない。それにショウケースの見本はずいぶん美味そうに見えるし、僕もここで昼食でいいかなと思えてきた。
「じゃあ、ここで食べちゃおうか?」
「そうね。そうしましょ。私、『海老の幸スパゲティー』すごく食べたくなっちゃったし」
「だから『海老の幸』じゃなくて、『海の幸』ね…」
「あらやだわ。私ったら、また同じこと言って間違えてるー。ぷぷー」
四組で満席になってしまうくらいの小さな店に入り、僕たちはボーイが注文を取りに来るのを待った。
ここでもシャインさんは「私はもう決めてるわ。『海老の幸スパゲティー』」と言って笑っていたが、実際注文するときにはちゃんと『海の幸』と言っていた。
僕が頼んだのは三種類のキノコのピザだ。見本ではかなり大きなピザだが、実物はどうだろうと心配していると、ほぼ見本通りのものが来た。シャインさんのスパゲティにはエビのほかに貝も入っていて、その貝殻で先ほどの貝塚を思い出してしまった。
けれど会話は貝塚を蒸し返すことなく、僕の小説『夏の翼』の話題になった。
「もうすごい感動だったわ。特にあそこから後なんて、もうほんとに登場人物たちの気持ちと同調しちゃって、苦しいくらい…」
シャインさんは熱心に僕の書いた物語の感想を言い、その物語を書いた僕に羨望の眼差しを向けてきた。
「『あなたのいる彼方へ』はどうだった?」
「あれこそもう! 滅茶苦茶に泣けたわ。ほんとに小説であんなに泣いたことなんてないの」
「シャインさん、感想とか宣伝とかブログの記事に書いてくれて、みんなコメントで『ぜひ読みたいです』なんて言ってるけどさ、そう言った人たち、誰も買ってくれてないんだよねえ…」
僕は日ごろ感じている不満を正直に言ってみた。
「あらあ、そうなの? どうしてかしら?」
シャインさんも残念そうな顔になる。
「でもどうにかして、一人でもたくさんの人に読んでもらいたいわよね」
「うん」
僕は短く応えた。「首根っこひっつかまえてでもそう言った人たちに読ませてよ」と言うのはやめておいた。