駅前通りの歩道を折れて、ビルの壁と塀に挟まれた狭い路地を行き、コンクリート階段を降りると、線路脇に大森貝塚の石碑が立っていた。
わずか二、三畳分くらいの広さしかない、石碑と植え込みのみの空間だ。
「えっ? これだけ?」
貝塚も何もない。英字を刻んだ直方体の石碑の上に、もう一つ縦書きに『大森貝墟』と彫り込んだ巨大なアイスバー型の石が乗っかっているだけだった。
「私も初めて来たの。こうなっていたのね。いつも電車からは見てたんだけど」
それでもシャインさんは、これを人生の中の新しい発見のように喜んだ。
「ちょっと早く来てたら、大変だったね」
「そうね。大変だったわ」
路地に入る手前で、手旗を掲げたガイドに連れられた二十人ほどの団体とすれ違っていたのだ。
ここはこれで行き止まりだから、一分ほど前まではその貝塚見学の団体で埋め尽くされていたことになる。
「うふふ。ブログ用の写真」
シャインさんは石碑に携帯電話を向けて写真を撮った。もちろん僕も自分の携帯で撮る。
ブログをやっていると、目に付くもの全てを写真に撮りたくなる習性が身についてしまうようだ。
先ほどの喫茶店でも、二人してモーニングセットに携帯を向けていたが、そんな姿を見ていた他の客たちは、いったいどう思っていただろう。
ブログをやっている人間ならば即座に理解するだろうが、そうでなければ生まれて初めて東京でモーニングセットを注文して、浮かれてしまっているおのぼりさん二人組だと思ったに違いない。
確かに僕の場合は初東京モーニングだから、あながち間違いではないのだが。
「じゃあ、貝塚公園のほうに行きましょうか」
シャインさんの言葉に、僕は疑問を持った。
「え? ここが公園じゃなかったんだ?」
「うん。公園は別のところ」
路地を引き返して、駅前通りを進むと、今度はちゃんとした公園らしい場所が現れた。
閑散とした小公園には野外ステージみたいな円形広場があり、シャインさんの説明では、その地面から霧が立ち昇ってくるらしい。
右手の一角には天蓋で覆われ柵に囲まれた深さ二メートルほどの縦穴があり、何かと思えば、貝殻の堆積した地層を見せるものだった。よくよく見れば、天蓋は二枚貝を模したものである。
「この穴の中で、浮浪者のオヤジが布団敷いて寝てたらやだな」
「そうね。うふふ。びっくりするわ」
「ちょうど一人寝られるくらいだし。いや、ちょっと狭いか」
「縄文人かしらって思っちゃうわね」
考古学的に大変重要な遺跡を目の前にしても、まあたいていの人たちはこんな会話をするものだろう。
さらに公園の奥に進み、線路脇まで行くと、また石碑があった。
今度は横長の石版に『塚貝森大』と彫ってある。
「こっちにもあるけど、さっきの場所とどうして二つあるんだろう?」
「どうしてかしら?」
ここは品川区である。さっきの大田区大森からここまで広く分布していたんだろうと思って気にしなかったのだが、帰ってからネットで調べてみると、実際はこちらの場所が正しくて、先ほどの場所には貝塚があったわけではないらしい。
つまり、大森貝塚は大森にはなかったのである。発見者のモースが最寄り駅の大森を、そのまま地名として報告書に記したことで、一般的に「大森貝塚」の名が浸透してしまった、というのが今の有力説らしい。
「カツオさん、石碑と一緒に写って」
シャインさんにリクエストされ、僕は石碑に手を掛けてぶら下がってみた。
「きゃはは。カツオさん、ここでもやっぱり登るのね? トロちゃんのとき、大阪城の石垣に登ってたみたいに」
日本考古学発祥の地という大変意味ある場所で、僕たちは意味もない遊びのようなことをして笑い合った。